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映画ランナー

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企画 2019年01月08日

『ロード・オブ・ザ・リング』一挙上映所感

シネマラマ

2019年1月6日。カナダのバンクーバーにあるリオシアターという劇場でとあるイベント上映が催されました。
 
 
内容は『ロード・オブ・ザ・リング』エクステンデッドエディション三部作一挙上映&トリビア、コスプレコンテストとシークレットサプライズです。お値段は25カナダドル(日本円に換算すると約二千円)、上映開始時間は正午からで終わるのは夜の12時過ぎというトチ狂った上映時間でした。
 
 
 
しかし終わってみれば、私のこれまでの劇場体験で最も重要なもの一つになりました。
 
今回は個人的なその日の体験と、確信したことについて記します。
 
■映画を字幕なしで観るという事
■“観る”と“体験する”
 

■映画を字幕なしで観るという事

 
正直に申し上げると前日まで行くか否か迷っていました。それは上映時間の長さや値段ではなく、字幕なしの映画をはたして理解できるかです。
 
これまでカナダでの映画館での鑑賞では「クローズドキャプション」(略称“CC”)という機器を劇場で借りて観賞していました。
このビックリドッキリメカは映画の上映に合わせて字幕が表示されるという異邦人である私のようなリスニング弱者には大変助かる機器でした。しかも無料です。映画内の台詞を完璧に表示してくれるわけではないですが、それでも映画の理解に大変助かります。
 
「クローズドキャプション」(略称“CC”)
 
しかし、このリオシアターにはそれはありません。私のリスニング能力はそんなに高くありません。部分部分を拾うことはできますが、映画全体を通して字幕なしで理解するほどのレベルではありません。一応TOEICでリスニングでは400以上のスコアは持っていますが、そんなの映画内の台詞の前ではほとんど無力です。
 
カナダに来て二日目の10月21日に『ファースト・マン』という映画を観賞したのですが、ツイッターに感想を載せていません。それはつまらなかったからなどではなく、寝てしまったからです。その理由はもちろん何を言っているか全然わからなかった為、お話にもついていけず、映像の中で何が起き、行われようとしているかを追うことが全くできなかったからです。
 
これはこれでいいです。というのも、自分の英語力の物差しとして今のレベルを知りたかったんです。TOEICなどの数値ではなく、感覚としてのレベルを。一年後、カナダを離れる時にどれだけ変わることができたかを自分の一番好きなもので感じたかったからです。
 
それからは前述したCCを用いて映画鑑賞を楽しみました。その中でも二本だけまたもCC、英語字幕なしで観賞した映画があります。
それは『ボヘミアン・ラプソディ』と『モンティ・パイソン:ホーリー・グレイル』です。
 
『ボヘミアン・ラプソディ』に関しては正直お話についての理解はかなり怪しい所はありましたが、クイーンの楽曲の素晴らしさでとても楽しませてもらいまいた。言い換えると、英語がそんなに理解できず、お話についていけない人間も感動できる映画になっていました。
 
『モンティ・パイソン:ホーリー・グレイル』はこれまた曲者な作品で、イギリス英語でしかも古い言葉を使っているからこれはどうかなと思ったんですが、意外と理解できたんですよね。ただこれはつい最近見直していたので内容や台詞を覚えていたから理解しやすかったに過ぎないだろうと思っていました。
 
さて、問題の『ロード・オブ・ザ・リング』三部作です。
 
実は内容をほとんど覚えていませんでした。これを全部通してちゃんと観たのは恐らく高校生ぐらいの時で、かれこれ十年以上経っていました。重要な場面は覚えていますが、それも第一作目の「旅の仲間」に集中していて、「二つの塔」と「王の帰還」に関してはごく一部しか覚えていない。つまり、映画の大部分をまっさらな状態で字幕なし、原語で観ることになりそうだったのです。
 
登場人物たちの台詞があまりに理解できないと映像だけでは睡魔という本来意図していない魔法にかかってしまうことは『ファースト・マン』で前述したとおりです。『モンティ・パイソン:ホーリー・グレイル』のように内容を覚えていたら補完しながら観ることができますが、今回それは期待できません。
 
チケット代を払って劇場の座椅子でひたすら惰眠をゴラムのように貪り喰らうだけになるかもしれないという不安がありましたが、これはここでしかできない経験、たとえ眠り落ちてしまったとしても、だと考えて行く事にしました。
 
上映が始まり、中つ国への旅が始まりケイト・ブランシェット演じるガラドリエルのナレーションが始まりました。
 
そこで、まさに文字通り、耳を疑いました。
 
「あれっ、何を言っているかわかるぞ」
 
全てではないですが、50%ぐらいのことは理解でき、残りは映像内の描写や登場人物たちの表情などで補完し、壮大なお話を追うことができました。
 
最初は半信半疑でしたが、物語がホビット庄あたりで確信しました。
 
「聞き取れている!」
 
そこからはひたすら映画を楽しみました。ほとんど寝ることはなく(個人的に『二つの塔』の序盤は鬼門でした。)、12時間の映画鑑賞、いや体験をすることができました。次に一体何が起きるのかを目だけじゃなく、耳も動員して待ち構えるという状態で。
 
日本での劇場上映の際に物議を醸した字幕翻訳に惑わされる事なく、直接彼らの言葉を味わうことができる喜びの酔いはこの長い長い旅路を共に歩むのに十分でした。
 
私のリスニングに自信を持たせてくれた作品が『ロード・オブ・ザ・リング』であることにこの上ない幸福を感じました。
 

■“観る”と“体験する”

 
カナダでは映画館での劇場のお客さんの反応がとても素直です。笑えるシーンでは声を挙げてどっと笑いますが、興味深かったのは『ボヘミアン・ラプソディ』でネコちゃんの顔がアップになるシーンで「Oh~❤︎」とため息が漏れていたことです。
 
おそらく他の幾つかの国でもそうだと思います。つまり自分の感情を表に出すのが至って普通だからかなと思います。嬉しいことに最近の日本の映画館でも大分これに近くなりましたね。
 
ツイッターのとあるフォロワーさんが『デッドプール2』を映画館で観てリーアム・ニーソンのネタでケラケラ笑っていたら、近くのオッサンから「うるさい」と注意されたそうです。
 
正直このように静かに観賞したい人は家でてめぇ一人観ろよと思います。作品が神妙でシリアスで物々しい映画だったら話は別ですよ。そして明らかに過剰すぎるのも邪魔です。でも『デッドプール2』ですよ。笑ってなんぼだし、作り手も笑ってもらうように魂込めて作ってんでしょうに。それを笑えるシーンで我慢して観なければならないなんて、そんなことを強いる奴にこそ俺ちゃんに成敗してもらいたいです。
 
映画館で笑い声をあげて楽しむことはより映画をよりエンターテインできます。これは前々から考えていたことで今回確信しました。別に海外の文化にカブレ始めているという事ではなく、映画を観る環境というのも大事であるからと考えるからです。
 
私は子供の頃から映画が好きで、中学高校の時点で相当数の映画を古今東西、モノクロからカラー、トーキーからサイレント問わず観ていました。ただ、それはビデオやDVD、テレビで放送されたものばかりで映画館で観ることはほとんどありませんでした。なぜなら私の街には映画館が無かったから。
 
高校になって、何か月かに一度鹿児島に行く必要があった為、その時に鹿児島中央駅にある映画館で観たのが一人で映画館に行った最初の経験です。確か作品は『カーズ』でした。
 
そしてそれから福岡、神奈川、東京、カナダと色々な映画館で映画を観てきましたが、ようやくわかりました。私は多くの映画を観てはきましたが、それは“観た”に過ぎないと。それはどんなに映像内に起きうる描写を汲み取って解釈をしたり、社会背景やメイキング、裏話を調べて理解をしても“観た”だけです。
 
一方、映画館で映画を観るということは“観る”という行動に“体験した”という要素を含められる可能性があります。それは全く見ず知らずの人と、暗闇の中で同じ物語を味わいながら笑ったりすることも含まれています。これは最も簡単にできる共有体験です。他にも凄い過激な映画にも関わらず老夫婦で来ていらっしゃる姿を見てホッコリしたり、明らかに作品のチョイスを間違えたカップルの姿を観たり、子供が怖いシーンで悲鳴を上げたりしたりするのは家では見られません。
 
これは家での観賞と映画館で観るのはどっちが上か下かとかの話ではなく、環境も違うから違った楽しみ方があってもそれはそれでいいじゃないのという事を言いたいのです。
 
リオシアターの上映内でも数えきれない程笑いが起きて『ロード・オブ・ザ・リング』がこんなに笑えるものとは思いませんでした。たくさんのギャグやユーモアがふんだんに散りばめられていたなんて昔観た時は気づきませんでした。
 
そして最高だなと思ったのは“歓声”ですね。もう何度あがったことか。最初は「旅の仲間」にてロスローリエンで旅の仲間がそろった瞬間に大歓声があがりました。そこからは何か盛り上がるシーンごとに歓声と拍手でした。
 
ガンダルフの
「You shall not pass!」、
 
アラゴルンとギムリの
「Let’s hunt some orcs」「Yes!」
 
ギムリとレゴラスの
「Never thought I'd die fighting side by side with an Elf」
「What about side by side with a friend?」
「I could do that」
 
サムの
「I can't carry it for you, but I can carry you」
 
アラゴルンからホビットたちへの
「My friend, You bow to no one」
 
そして作品ごとのオープニングとエンドクレジットが始まる時
 
等々。
 
もう一つ興味深かったのは“ブーイング”ですね。「王の帰還」で前面に出てくる気の狂ったデネソールの言動や台詞にブーイングやツッコミの嵐でした。彼の食事シーンでは「オエー!」という声もあがっていました。そして彼の末路のシーンでも大歓声でした。
 
経験している方ならお分かりだと思いますが、これは日本でもたまにあります。絶叫上映というイベント形式の上映も増えています。私が参加したのは『マッド・マックス:怒りのデス・ロード』カウントダウン上映 at新文芸坐でしたが、そこから映画ってこうゆう風にも楽しめるのかと感激しましたね。
 
より能動的に映画館で映画を観るだけでなく、体験することもできるようになっているのは本当に嬉しいです。それはテクノロジーのことを差すのではなく、知らない誰かと共に楽しめる何かが、そこにはあるのだということです。素晴らしい作品を観終わった後に拍手をすることがどれだけ気持ちの良いことか!これはそこにいない作り手たちへの賛辞でもあり、そこにいる観客自身にとっても降りかかる恩恵でもあるのです。
 

■最後のひと言

 
今回のイベント上映の参加は自分の映画鑑賞経験の中でトップクラスに重要なものになりました。まずは自分が英語字幕なしでも楽しめつつあることを確信したこと、そして映画館で映画を観るということは“体験する”ことでもあのだと改めて感じさせてくれたからです。この二つを指輪物語の世界で旅の仲間たちの冒険を辿りつつ実感できたことはとても幸せです。次回は『スター・トレック3』を三人のゲストが生ツッコミ&コメンタリーしながら観賞するというイベントに行く予定です。これまた珍しい形式だと思いますので楽しみです。
 
リオシアターと、その時一緒に観賞した方々、そして「ロード・オブ・ザ・リング」のおかげでより物語を好きになりました。この経験はこれからの人生の中でmy preciousな時間になりました。
 
実際はただ12時間座って歓声や拍手をあげていただけです。
 
しかしこの中つ国の旅はこれから先の旅、それは映画だったり本だったり、そして自分の人生に誘って寄り添ってくれるものとなりました。
 
そして、これまで日本語字幕に頼って観てきた映画や物語などに違った発見ができそうです。今の私はその時の私と違うのだから。
 
Thanks to Lord of the Rings, Rio Theatre and people who were there.
 
 
“There is no real going back. Though I may come to the Shire, it will not seem the same; for I shall not be the same”
–The Lord of the Rings: The Return of the King, Frodo
「本当に元に戻るということはできませんね。
たとえホビット床に戻っても、わたしには前と同じホビット床には見えないでしょう。
 わたしが同じわたしじゃないでしょうから」
―「指輪物語:王の帰還」
 
 
 
 

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